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第5。6。7体力増強と家庭菜園、第4回ゴルフと家庭菜園、第3回家直し 第2回退職回想 第1回地下室工事


by kmasao60

6/16 インターネット工法。技研の担当から電話。有難う御座いました20年の特許の期限今年で切れます。三郷文化会館でベースネット工法、所沢でインターネツト工法。今の天皇が新婚の改修S社指導に行つたな。

スナックえんどう5/4~6/2(1165)アスパラ4/18.(166)0ニンニク芽5/22(48月)キューリ6/3(4)ピーマン6/4(1).


早朝、ウグイスが凄い近くで鳴く。
進まぬ外構、涼しい朝、でも音出せぬ、はかどら無くても少しずつ。
6/16 インターネット工法。技研の担当から電話。有難う御座いました20年の特許の期限今年で切れます。三郷文化会館でベースネット工法、所沢でインターネツト工法。今の天皇が新婚の改修S社指導に行つたな。_e0082956_05225050.png
誰かが見ないことを祈り。良いコラム
コラム 男の友情~お父さんと死んでしまつた友達
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「いやあ、
Nが腐乱死体に
なっちゃってさあ」

喪服を着た父は、いきなりこう切り出した。

数年前の秋のことだ。
父の長年の親友であるNさんが急逝し、
葬儀に出席するため父が上京。
葬儀後、私は父と某喫茶店で待ち合わせをした。
さぞや父はショックを受けているだろうと思っていたら、
目の前の父は、拍子抜けするほどケロリとした顔をしている。
私は少々呆れつつ、父の顔を見た。

Nさんなら私もよく知っている。
当時まだ50代前半、某企業の研究所に勤務し、語学堪能。
私も何度かお会いしたことがあるが、
そのイメージは「上品な紳士」。
社内ではかなりの堅物として知られ、
部下が仕事中に下ネタを言おうものなら
すぐさま説教が始まったそうだ。
周りからは「先生」と呼ばれていたという。

一方、父もNさんと同じ会社に勤務していたが、
2人は職種も部署も違うし、なにより性格がまるで逆。
父は社内一の破天荒男であり、猪を生け捕りにしたことや、
大阪中のストリップ劇場を制覇したことを
娘である私に自慢するような人である。
父の若い頃のあだ名は「サル」だったとも聞く。

「先生」と「サル」。
これほどまでに正反対な2人がなぜか気が合い、
Nさんが亡くなられる数年前には、
2人でヨーロッパ周遊旅行までしたほどの仲良しだった。
6/16 インターネット工法。技研の担当から電話。有難う御座いました20年の特許の期限今年で切れます。三郷文化会館でベースネット工法、所沢でインターネツト工法。今の天皇が新婚の改修S社指導に行つたな。_e0082956_10412833.gif



Nさんの死体は、Nさんの自宅で発見された。
何日も無断で会社に来ないのを不審に思った部下が、
家を訪ねたところ、Nさんはすでに死んでいたという。
死亡日がはっきり断定できないほど時間が経っており、
そのせいで、Nさんは腐りかけていたのだ。

Nさんがひとりで亡くなったのには、いくつかの理由がある。
まず、Nさんはかなり前から糖尿病を煩っていた。
死因もこの糖尿病から併発したものだったそうだ。

私も詳しくはわからないが、糖尿病になると、
身体が端のほうから少しずつ腐っていくのだという。
父によれば、生前からNさんは腐臭を発していたそうだ。
そして、糖尿病のせいか薬の副作用のせいかはわからないが、
Nさんは男性としての能力もなくなっていた。
それが原因ではないだろうが、彼は長年つれそった奥さんとも離婚。
2人いた子供は奥さんが引き取り、
数年前からNさんは一人暮らしを始めていた。
親友である私の父は新潟に赴任していた。
そうして、Nさんは孤独に死んでいったのだ。

「ユキコ、お父さんはな、奴の死を聞いてから精力的に動いたのさ」
父は黒いネクタイをゆるめながら話を続けた。
「は?何を?」
私は眉間をひそめた。

父はまず、部下に命令してあるものを隠させたという。
それは、父と一緒に行ったヨーロッパ旅行で、
Nさんがこっそりと大量に買い込んだ

ポルノ雑誌
だった。あれほどの堅物で知られたNさんだが、
男性機能が弱りはじめてからは、
こっそりストリップに行ったりしていたらしい。

「ほら、Nは娘がいるからさあ。
 父親が死んで、そんなものが残っていたらいやだろ。
 だからな、家族にばれないように、こっそり隠したんだ」
「はあ」
「ユキコ、お父さんが次に何をしたと思う?お父さんはな、

Nの死亡日を決めたんだ」

Nさんの死亡日は、死体鑑定でも結局、
はっきりは判定できずじまいだった。
そこで父は、可能性のある何日かの中から、
ふたつの死亡日を勝手に決めた。
まずひとつめ。会社に届ける死亡日は、
可能性のある日の中のもっとも遅い日に。
これは、遺族に少しでも多くの給料が入るようにするためである。
そしてふたつめ。役所に届ける死亡日は11月22日に決めたという。
父は自慢げに言う。

「ユキコ、俺がなんで11月22日にしたかわかるか?」
「わかんないよ」
「これは、ま、離婚した奥さんにはちょっとイヤミかもしれんけどな、
11月22日。つまり、

いい夫婦の日だ」

そして、葬儀当日。
Nさんの母親が父に言った。
「Mさん(うちの父)には、生前、仲良くしてもらいましたから。
 遺品、なんでも好きなものを持っていってください」
 すると、父はきっぱりと首をふった。
「いいえ、もう、もらいましたから」
「は?」
Nさんの母は目をぱちくりさせている。
もちろん、父がもらった遺品とは、

大量のポルノ本

である。
6/16 インターネット工法。技研の担当から電話。有難う御座いました20年の特許の期限今年で切れます。三郷文化会館でベースネット工法、所沢でインターネツト工法。今の天皇が新婚の改修S社指導に行つたな。_e0082956_10434582.gif



葬式が終わり、Nさんは火葬場で焼かれた。
生前、あれほど身体がぼろぼろだったというのに、
Nさんの骨はしっかりとした形で残っていたという。

父はふっと笑って言った。
「あそこの骨は、
俺が責任をもって、
全部骨壷に入れてやったよ」

6/16 インターネット工法。技研の担当から電話。有難う御座いました20年の特許の期限今年で切れます。三郷文化会館でベースネット工法、所沢でインターネツト工法。今の天皇が新婚の改修S社指導に行つたな。_e0082956_10444149.gif


呆れてというか尊敬してというか、
私はもう何も言えなかった。

実は、父はこの前の年にも、親友をひとり亡くしていた。
別れ際、最後に父はさわやかな顔でこう言った。

「お父さんの
 これからの人生の目標は、
 友だちづくりだ!」



----------後日談にかえて----------

誤解のないように書き添えておくと、
父は父なりに、親友の死を悲しんでいた‥‥はずです。
なにしろ父は誤解されやすい性格で、
そんなにつきあい上手な人ではないからです(たぶん)。
Nさんはそんな父を理解し、
いつもフォローしてくれた貴重な存在でした。
私はこの話を何人かの知人に話しましたが、
その反応は男女によってきっぱり分かれます。
女性は大笑いし、男性は妙にしんみりと聞くのです。

最近、ある男性の知人に言われたのですが、
男性がしんみり聞くのは、
男同士の友情に思いをはせると共に、
自分のエログッズが死後どうなるかを思わず考えてしまうから、
とのことでした。
なっるほどね!!

あらためてNさんのご冥福をお祈りします。

by kmasao60 | 2019-06-13 05:21 | 四季の変化 | Comments(0)